2016年5月26日木曜日

支那暴政を滅ぼす為に、自分が自分の運命を握る為に、戦うか、否か?

たとえば、己の一生がすべて定められていたとしたらどうだろう。

人生におけるあらゆる選択、些細なものから大事なものまで、

選んでいるのではなく、選ばされているとしたらどうだろう。

無限の可能性などというものは幻想であり、

人はどれだけ足掻こうとも、定められた道の上から降りられない。

富める者は富めるように。貧しき者は餓えるように。

善人は善人として、悪人は悪人として。

美しき者醜き者、強き者弱き者、幸福な者不幸な者――そして、勝つ者負ける者。

すべて初めからそうなるように・・・・・・それ以外のモノにはなれぬように定められていたとしたらどうだろう。

ならばどのような咎人にも罪は無く、聖人にも徳など無い。

何事も己の意志で決めたのではなく、そうさせられているだけだとしたら?

ただ流されているだけだとしたら?

問うが、諸君らそれで良しとするのか?

持てる者らは、ただ与えられただけにすぎない虚構の玉座に満足か?

持たざる者らは、一片の罪咎なしに虐げられて許せるか?

否、断じて否!

それを知って上で笑える者など、生きるということの意味を忘れた劣等種。人とは呼べぬ奴隷だろう。

気の抜けた勝利の酒ほど、興の削げる物はない。

運命とやらに舐めさせられる敗北ほど、耐え難い苦汁はない。

このような屈辱を、このような茶番劇を、ただ繰り返し続けるのが人生ならば、よろしい、私は足掻き抜こう。

どこまでも、どこまでも、道が終わるまで歩き続ける。

遥か果てに至った場所で、私は私だけのオペラを創る。

ゆえに、諸君らの力を借りたい。

虐げられ、踏み潰され、今まさに殺されんとしている君ら、一時同胞だった者たちよ。

諸君らは敗北者として生まれ、敗北者として死に続ける。

その運命を呪うのならば、私のもとに来るがいい。

百度繰り返しても勝てぬのならば、千度繰り返し戦えばよい。

千度繰り返しても勝てぬのならば、万度繰り返し戦えばよい。

未来永劫、永遠に、勝つまで戦い続けることを誓えばよい。

それが出来るというならば、諸君らが“革命”の一部となることを許可しよう。

永劫に、勝つために。

自由の翼――その一本一本の羽根が、諸君らの血肉で編まれることを祝福しよう。

今はまだ、私も君らも、そして日本も台灣も他のアジア諸国も・・・・・・忌々しい支那独裁暴政の鎖の内ではあるものの。

ここから先、ここでの“選択”が真に意味あるものであったと思えるように。

いつかはきっと、この無限に続く支那独裁暴政の鎖を壊せるように。

さあ、どうする。諸君ら、この時代の敗北者たちよ。

私に答えを聞かせてくれ。

戦うか、否か――。


By  楊賜璁